#フィールド・オブ・ドリームスと笑い男

(今回はいくつかの作品についてネタバレになるかもしれない内容を含みます。予めご了承ください。)


 ケビン・コスナー主演、1989年公開のアメリカ映画『フィールド・オブ・ドリームス』について語りたいと思う。

 もちろん大好きな映画なのであるが、アメリカ人にとっては特別に思い入れのある宝物のような、一年に最低一回は観返し子供たちにも伝えていきたい、国民的映画のような存在なのだそうだ。私達にとっての「忠臣蔵」のような娯楽作なのかもしれない。

 ではなぜ、そのように、アメリカ国民にとって大きな存在となっていったのであろうか。アメリカの国民的スポーツの野球を題材とし、60年代をキーワードとして夢や希望、家族の絆といった、アメリカのよい面、美徳を描いていることがその理由の大前提である。しかし、それだけの理由で、ここまでアメリカ人の心の奥底まで染み渡っていくことができたのであろうか。そこにはアメリカ人にしか分からない、彼らが持ち続けている、ある”後悔と懺悔の念”が長らく彼らを苦しめていたことが、大きく影響しているように思えるのだ。


 

 私が初めてこの映画を観たのは、たしかまだ10代であったと思う。自らの夢に挫折した者達の心を慰め、その者の夢を叶えさせてやるための”夢の球場”を造る啓示を受けた男の寓話を描いたファンタジーとして、もともと野球好きの私は大変な感動を受けた。有名な、

"If you build it, he will come."

という謎の声に導かれるまま、一体これは誰の声なのか、彼とは誰のことなのか、が明かされるラストでは、涙で顔がグシャグシャになった。しかしながら当時の私には途中、ちょっと唐突で置いて行かれてしまう場面があった。

 社会から隠遁してひっそりと暮らす、かつては若者たちに絶大な影響力をもっていたあるひとりの黒人作家の登場する場面である。

 じつはこの映画にはれっきとした原作があり、ウイリアム・パトリック・キンセラの小説『シューレス・ジョー』がそれにあたる。シューレス・ジョーことジョセフ・ジェファーソン・ジャクソンは、キーになる人物として劇中に登場する実際の野球選手である。彼が巻き込まれてしまった不幸な事件は映画「エイトメン・アウト」でも扱われており、裁判所から出てきた彼に、彼を崇拝する子供が叫んだとされる、

"Say it ain't so, Joe!"(嘘だと言ってよ、ジョー!)

はあまりにも有名で、知らないアメリカ人はいないのではなかろうか。ちなみに、「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」で、偶然仲良くなった青年が、実はジオンの工作員であることを知った少年が叫ぶ、

"嘘だと言ってよ、バーニー!"

はこれのオマージュであろう。

 話がそれてしまったが、原作ではこの黒人作家がはっきりと実名で登場している。サリンジャーだ。発表当時、サリンジャーは自身の名が勝手に使われていることにひどく激怒し、裁判も起こしたそうだ。今にして思えば、白人を黒人に置き換えただけで、この世間からは一線を画した、”耳と目を閉じ口をつぐんでしまった”小説家はサリンジャーに他ならない。アメリカ人にとってはすぐにピンとくる自明の理であろうこのキャストも、当時のわたしには全く理解できず、この場面だけ妙に浮いてしまった印象をよく覚えている。しかし後になって、あるアニメ作品を観て、ああ、あの映画はもしかしてこういうことを伝えたかったのではあるまいかと思い返したのである。

 『攻殻機動隊S.A.C.』

である。

 この作品の重要なカギを握るパーツとして、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が使われている。

 社会に巣くう巨大な悪に単身立ち向かい、そのあまりにも大きな力に敗れてしまい、自分の無力感に嫌気がさし、”耳と目を閉じ口をつぐんでしまった”ある青年が再び巨悪に立ち向かおうとする様を、この作品は描いている。

 連続企業テロが起こるのであるが、犯人がサリンジャーのフレーズを引用していることから、彼の短編小説からいつしか犯人は「笑い男」と呼ばれるようになる。実際この連続企業テロにはもっと奥底が深い驚愕の事実が存在するのであるが、首謀者とされる「笑い男」は完全に敗北し一切を諦め、姿を隠してしまうのである。

 この作品では、この「笑い男」の人間として成さねばならなかった正義の遂行を、中途でとん挫し、逃げ出してしまった恥と後悔の念をテーマとして切々と描かれている。世の中の不正を、分かっていながら正すことのできなかった正義漢あふれる青年の、自分の命をかけてまでも、もう一度対決しようとする姿が感動的だ。途中、9課のトグサがある場所である走り書きを発見する。

”I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes”

「僕は耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」

という、『ライ麦畑でつかまえて』のなかのある一節だ。しかし、この文章の末尾に付け加えられた文言があることに気づく。



 

"or should I?"「いや、ならざるべきか」

この苦悶し、未だ迷い続けているこのフレーズにこそ、「笑い男」本人にしか書けなかったメッセージではないかと確信し、これを残した者が「笑い男」その人とトグサは推理する。

 この作品を観て強く感じたのは、遂行しなければならなかったこと、伝えなければならなかったことを、己の責任でもって完遂できなかった者たちの深い後悔の念を、サリンジャーを引用することによって、鮮やかに印象づけようとしているように思えた。

 ではなぜ、サリンジャーを引用するのか?

 私は英米文学の知識は心許ないのであるが、『ライ麦畑でつかまえて』を一言で言ってしまえば、

「世の中はインチキだっ、大人の言うことなんか信用できない!」

とくくってももいいように思う。そしてそのことを若者に伝えたかったがために『ライ麦畑でつかまえて』を執筆したが、世の中を変えることが出来ず、落胆し”耳と目を閉じ口をつぐんでしまった”人間として、社会から隔絶してしまったサリンジャーをだぶらせたかったからに違いない。

 ではさらに、インチキとは何をさすのであろうか?

 それは大体お察しできるとは思うが、第二次世界大戦からベトナム戦争に続く、アメリカ社会が抱えてしまった不幸な構造である。

 アメリカにおいては一般的に、第二次世界大戦は全体主義から自由を守った”good war"よい戦争とされている。戦地から生還した男達は家族の元へ帰ったり、配偶者を得て新たな家庭をきづき、子供を持ち、よりよい社会をつくろうとした。いかによい戦争であろうとも、父親たちの経験した悲惨さは人としての許容範囲を超えており、私達には想像できないものだろう。

 しかし、よい戦争であるから、あえてそのことを伝えようとはしなかった。勿論、思い出したくもないような悲劇をあえて言おうという気にもならないのはよく分かる。しかし、ベトナム戦争に突入していってしまうアメリカの父親たちはこのこと、戦争がいかに悲惨で、無意味で、なんの解決にもならないということを、子供たちに伝えていなければならなかったのだ。

 その結果、多くのアメリカの若者がベトナムの地において命を落とすことになるのである。

 ベトナム反戦運動が起こった時、父親たちに「なぜ真実を話そうとしなかったのか、そうすれば僕たちの世代は死ななくて済んだのに!」と反発し、親を信用することができなくなってしまった。この時アメリカの世代が完全に分裂されてしまったのである。

 『フィールド・オブ・ドリームス』のなかでケビン・コスナーが父親と仲たがいする時に思わず放ってしまった一言に後悔する場面がある。八百長疑惑で追放されたシューレス・ジョーのことを大好きだった父親に、

「父さんは犯罪者を崇拝している!」

と、言ってしまったのである。思わず胸がいたくなる。

 父親たちはよい戦争だったと自分達に言い聞かせ、戦争そのものを美化し、本当の真実を語ることがなかった。自分の父親がシューレス・ジョーを崇めることを非難することで、父親たちの欺瞞を攻めてしまったことを後悔しているのである。息子であるケビン・コスナーも家庭を持ち、子供ができた現在、父親の気持ちが痛いほど解り、問題はそんなに単純なことではなかったことに気づいているのである。そのことを謝りたいのであるが、父親はもうこの世にはいない悲しさ。

 この映画がとりわけアメリカ国民の胸を打つのは、断絶してしまった父親たちの世代の、言いたくても言えなかった心の奥底、心の底から子供たちに謝りたいが、それを果たせず死んでいった後悔の念、そんな心の葛藤を理解できずに非難し続けた子供たちの懺悔の念、そういった様々な想いを、もう一度手を取り合って分かり合えるような夢のような場所”フィールド・オブ・ドリームス”を造ることによって、やり直させてあげたい、叶えさせてあげたい、そういうメッセージを込めたアメリカ国民自身の贖罪の物語であったからなのではないだろうか。

 世の中を変えたい一心で『ライ麦畑でつかまえて』を世に送りだし、しかし、それが失敗に終わってしまったサリンジャーは、失意のうちに”耳と目を閉じ口をつぐんでしまった”存在となってしまったが、作者である彼自身の心の傷でさえも癒すために用意された魂の集まる場所が、この映画『フィールド・オブ・ドリームス』だったのかもしれない。「笑い男」が自身の記憶を素子に預け、後のことを全て託し、やり残したことにけじめをつけるために歩き出していくシーンを観ながら、そんなことを考えていた。

 



ザルで水汲むマニア心

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