#遊星よりの物体X(1951)

ジョン・W・キャンベルの小説「影が行く」の映画化。監督にはクリスティアン・ナイビイがクレジットされているが、製作のハワード・ホークスが大部分をコントロールしていたらしい。ジョン・カーペンターが子供の頃これを観て衝撃を受け、映画監督を目指したことはあまりにも有名。後に念願叶い、自身のリメイク作「遊星からの物体X」は映画史に残る金字塔となる。原作のエイリアンの設定を忠実に再現したカーペンター版に比べ、本作は当時の映像技術の限界から、ヒューマノイド型のエイリアンに変更されている。白黒で特殊効果と呼べるようなものもわずかであるのだが、氷の中に埋まった宇宙船の影に沿って隊員達が立ち並びカメラが引いていくと宇宙船の外観が露わになるショットや、ガイガーカウンターによる暗闇での敵の接近を描く緊張感あふれる場面などは、決して色あせることがない鮮やかな演出である。特にガイガーカウンターのくだりは明らかに「エイリアン2」における動体感知器の演出に影響を与えている。カーペンター版が余韻を残すバッドエンドなのに対して本作はハッピーエンドである。表面上は当時の明るいアメリカ映画なのであるが、一歩踏み込んでいくと暗い深淵が見えてくる。ホラーやパニック映画が観客の共感を得るには、作品の根底に流れるテーマが持つ、無意識のうちに観客に訴えかけてくる不安や恐怖が必要不可欠である。当時の人々が共通に抱えている根源的な恐怖感を作品の中にさり気なく置くことによって、観客は他人事とは思えないように感じ取り、作品の持つ恐怖は普遍性を帯びてくるのである。当時のアメリカという国、とりわけ映画界というものを考えてみると、ひとつの強烈な不安感が浮かび上がってくる。赤狩りである。隣人が共産主義者ではないか、それを少しでも庇っているような印象を他人に与えてはいないだろうかという不安。当時のアメリカ国民の抱いている恐怖が、さりげなくというよりは、この作品ではあからさまに描かれている。舞台を南極からアラスカに変更したのも、当然、旧ソ連を意識したものであり、ラストで新聞記者が世界に向けて通信を送る「空を見ろ、そして見張れ!侵略者は我々を狙っている!」と叫ぶ場面は、あからさまに人々の根源的な不安感を揺さぶり起こそうとしている。いい悪いの問題ではなく、観客の心に残る映画というのは、人々の心の奥底に人知れず存在している恐怖を映像として具現化している作品なのではないか。それゆえにこそ本作は名作として映画史に刻まれることとなったのであろう。

ザルで水汲むマニア心

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