#まるでシャボン #岩館真理子

私は女性作家さんの作品もよく読んでいたのだが、三人選べと言われれば、萩尾望都、くらもちふさこ、そして今回の岩館真理子になる。岩舘さんの特徴といえば、やはりその絵柄であろう。繊細で淡く、全く水分を感じさせない湿度のない世界である。あまり上手い例えではないのかもしれないが、往年のバンド「YES」の音作りを思い出してしまう。「YES」のそのあまりにも乾いた音楽性に耐えられなくなって、辞めていったメンバーが多数いたそうであるが、岩舘さんの絵柄にも、もしかしたら拒否反応を示す人がいるのかもしれない。その絵柄に反して物語自身には、実はとてもドロドロとした、人間の醜い部分を露悪的に炙り出そうしている意思が多く見受けられる。こんな物語を、例えば、美内すずえの絵柄でやられたらとてもじゃないが見ていられない。作者さんはご自分の絵柄と物語のバランスを冷静に判断されていて、その露悪的な物語をギリギリの範囲で私たちにぶつけてくる。ご自分の特性においての限界点を客観的に見ることが出来ているので、これ以上踏み込んだら物語として読者には受け入れてもらえないだろうという境界線まで攻め込んでくる。漫画というものは、文学に比べて身分の低いもののように扱われるが、そんなとらえ方をする者は見識の低い愚か者である。岩館真理子作品はそんな些細なことなど消し飛ぶような、文学さえ凌駕する程の、遥かな高みに到達しているのである。さて「まるでシャボン」についてであるが、傑作なのは言うまでもないのであるが、ちょっと独特の構成になっている。厳然とした主人公がいるのであるが、よくよく読んでいくと主人公は狂言回しのような立ち位置にあり、実は相手役の悲しい物語を主人公視点で読者に語りかけてくる構図になっている。ストーリーはこうだ。両親がアパートを営む大学生の世津子の家に、一つ年上のいとこの草子(そうこ)が下宿するためにやってくる。かつて草子は世津子の恋人を奪った過去があった。もうひとつの空き部屋に羽賀という男が草子を追うように入居してくるのだが、世津子は彼に一目惚れしてしまう。そして草子によって奪われたかつての恋人は交通事故によって死亡しており、助手席に乗っていたのは草子であることが判ってくる。そんな時、ある絵画展で「幸福な夢」という一枚の絵に主人公の目は釘付けになる。その絵の女性は草子にそっくりであった…。主人公と草子の描き分けが鮮やかだ。主人公はおっちょこちょいでいつも割を食うタイプであるのに対して、草子は無口でミステリアスであり、何をやっても不器用なのに、周りの男達はすぐに草子に魅了され、なんやかやと手助けしてくれる。私は男なので確かなことは判らないが、実際こういうシチュエーションよくあるのではないだろうか。姉妹、女友達の間でも、妙に可愛がられる人もいれば、自分には大した違いもないのになぜだか疎まれてしまう。そうは言っても主人公なので、とても可愛らしく共感できる人物には描かれている。大体はお察しできるとは思うが、主人公の恋心は成就するはずもなく、悲しい結末を迎えるのであるが、微かな、本当にさり気なく残す僅かな希望が胸を打つ。このあたりの演出の上手さは岩舘さんの独壇場とも言える。私は数々の文学や映画に触れてきたつもりでもあるが、この作品のラストシーンは全てのジャンルの中でもトップクラスの出来栄えだと思っている。とても悲しく残酷で、こんな事経験したらしばらく立ち直れないんじゃないかと思うような悲劇の幕引きを、作者の透明で繊細な筆遣いとともに主人公にもいつかは訪れるであろう「幸福な夢」を示準しつつ、物語を締めくくる。文字ではない、映像でもない、漫画であるからこそ産まれた奇跡のエンディングであると確信している。

追記:学生の頃、余りの感動に、ラストのモノローグに曲を付けて一曲つくってしまった。いつかきちんと録音してお聞かせできればと思っている。

ザルで水汲むマニア心

映画やゲームについて好きなことを呟いていきたいと思います。一部ネタバレを含む場合があります。

0コメント

  • 1000 / 1000