アメリカの国民的作家エドガー・ライス・バローズの「火星のプリンセス」を初実写化。40歳以上のアメリカ人で読んだことがない人はいないであろう古典的SFの傑作。私たちにとっての孫悟空や南総里見八犬伝と同じ感覚ではないだろうか。20世紀初頭にスペースオペラなどという概念すらなく、出版社からはことごとく断られてしまった。なんとか出版にこぎ着けた際も、頭がおかしいと思われないようにペンネームをNormal Bean とした。あちらのスラングでごくごく一般的な人を意味するそうだ。その際、誤植でNorma Beanとなってしまい、しばらく女性作家と思われていたらしい。映画の冒頭部分で主人公が薄汚れた西部の雑貨屋で、袋をカウンターにドスンっと置いて「豆っ!」という場面はこのエピソードに対するオマージュだ。私は思わずニヤリとした。過去何度も映画化の話はあったのだが、CGが確立される以前は特撮の困難さから、それ以降は予算の問題でことごとく断念されてきた。スピルバーグやハリウッドを代表する有名どころの監督たちは誰しもこれの映画化を一度は夢見たに違いない。それほど英語圏の人にとって大切な子供の頃の宝物なのである。映画の出来は決して悪くない。先述のオマージュが随所にさり気なく捧げられていたり、原作であやふやにされていた部分(地球から火星へのテレポート)などが丁寧に演出されていた。ではなぜこれほどの大爆死をしてしまったのか?画面のどこを切っても「これ、どっかで見たことあるな~」な映像が続くのである。それもそのはず、今まで我々が見てきた様々なSFエンタメ作品の全ての始まりが「火星のプリンセス」であるからである。他がさんざんパクっていたのである。つくづく気の毒な映画化であると思う。難を言うのであれば、主演のテイラー・キッチュがちょっとイメージに合わないかなと。原作から受ける印象だとチャールトン・ヘストンなのである。あとこれは日本人だけなのであるが、ヒロインの女優さんのコレジャナイ感がハンパない。原作の描写からは近いのだが、我々日本人は武部本一郎画伯の表紙(写真下)を見てしまっているのである。物憂げな瞳と白い肌のナイスバディーが子供心に強烈に焼き付けられていたのである。「こんなデジャー・ソリス受け入れられないっ!」な日本人が続出したことは容易に想像できる。私もそのうちの一人である。
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